47NEWSに、コダックの経営破綻にまつわる当時の社員の回想録が掲載されています。
・コダックの早すぎたデジカメ発明、47年前に開発したのになぜ経営破綻?
- イーストマン・コダックがデジタルカメラの普及に押され経営破綻してから10年が経過した。しかし、1975年に世界初のデジカメを開発したのもコダックだった。発明したのは当時入社間もない若手技術者だったスティーブ・サッソンさん。このほどインタビューに応じ「前代未聞の試みだった。社内からの反発は想像以上だった」と当時を振り返った。
- コダックのビジネスモデルは写真フィルムに依存していた。フィルムを販売し、販売店が撮影済みのフィルムを現像し、プリントして写真を顧客に渡すというサイクルが完成されており、デジカメはそれを破壊するものだった。「経営陣はビジネスの構造全体が大きく変わってしまうことに気付いており、未来に飛び込むことをためらっていた」。
- コダックが写真フィルムとその画質に誇りをもっていたことも足かせとなった。開発当初の粗い画像のデジタル写真は受け入れられず、「社内には乗り越えなければならない文化的な壁がたくさんあった。コダックはフィルムと画質へのこだわりから離れることができなかった」と話す。サッソンさんは発明について公の場で発言することを禁じられた。
- ただ、コダックはひそかにデジタル写真技術への投資を続け、94年には米アップルと共同開発した「クイックテイク100」が発売され、話題となった。「公表はしていなかったが、かなりの投資をしていた」と明かす。しかし、その後も会社の重心をデジタルに移す思い切った経営判断はできず、赤字が拡大して2012年1月に連邦破産法11条の申請に追い込まれた。
コダックが世界初のデジカメを開発したのは47年も前というのは驚きですね。当時、コダック社内ではデジカメの画像は全く受け入れられなかったようですが、当時の技術ではデジカメの画質はフィルムと比較するレベルになかったでしょうし、これは仕方のないところですね。
ただ、90年代の一時期にコダックはデジカメで他社に先行していた時期もあったので、そのままコダックが積極的にデジカメの開発を進めていたら、今どうなっていたのか興味深いところです。
来栖道庵
私は2005年ごろに発売されたコダックのデジカメEasyshare570を購入しました。
使用時にレンズ前バリアがシャッと開くのがまるで一文字隼人のライダーベルトみたいでかっこよかったです。
すでに現役ではありませんが、いまだ手元にあります。デザインが素晴らしい。
から
まさに絵に描いたようなイノベーションのジレンマですね。日本のカメラ系企業もカニバリゼーションを恐れてチャレンジを怠らないように切に願ってます。
SR-T101
プリンタメーカーの開発者が「専用インクも特殊な紙も必要としないプリンタ」を開発したら同じような事が起きそうですね
SoA
初期の国産デジタル一眼レフはKodak製CCDセンサー搭載している機種もありましたし、LeicaもM9/M8やDMRはKodak製CCDだったはず。その後のCMOS世代への切り替え時期に急速なフィルム需要の縮小で経営が行き詰まったんでしょうか。Kodakの事例は経営戦略の教材にもなっているらしいですが、その頃は写真から離れていたので詳しい経緯は知りません。
かっての栄華は取り戻せなくてもフィルム文化は継承して行ってもらいたいです。
自分も今週末、Gold200ブローニー買わないと。
専業主夫M男
ニコンやキヤノンベースのデジカメを販売していましたがダメだったのですね。
どりゃー
業界の巨人と言われたコダックの破綻劇はビジネスの教科書でも度々取り上げられますね。
業界地位が盤石で利益も厚かった写真フィルム事業への過度な集中が破綻要因だったとされ
富士フイルムのように多角化戦略を採らなかったので社会環境の変化に脆かったと結論づけられています。
また、日本の写真産業は関税で守られているとの主張で通商問題を提起し、政治的アクションを活発させたのも
テクノロジーに後ろ向きな間違った経営だっという声もありました。
実際のコダックはデジタルカメラ分野への投資もかなり活発で
特にニコンとの提携では強い商品も生みだしたし
チノンを買収して本格的カメラへの参入も模索したこともありました。
しかし結局、キヤノン・富士フィルム・ヒューレッドパッカードなどライバル企業との競争に破れて
デジタルカメラや写真プリンター分野は無くなってしましました。
10年前に延命できたとしてもすぐにアップルやグーグルやサムスンやソニーが写真コミュニティ・写真産業の中核になっているのでやっぱり破綻は免れなかったと思います。
FA50
How It's Madeという海外番組の
「Developing photographs from negatives.」
というタイトルの回で、フィルムが主流だったときの工場での
大量印刷の仕組みが映像で紹介されたことがあるのですが、
当時は大がかりな工場がたくさんあったことがうかがえます。
これらがすべて無き物になるというのは、想像もつかなかったでしょうし、
デジタルへの転換も踏ん切りがつかないというのも理解できます。
α大好き
PhotoCDも、当時としては高解像度でスキャンしたサービスでした。先見の明があるのに過去の遺産が抵抗勢力になるのはいつの時代も同じだと感じるのですが、まさか、と当時ニュースで知って言葉にならなかったことを思い出します。
Mスクエア
コダックの破綻はビックリでしたが、時代の流れを見誤ると大企業でも破綻してしまいますよね。
ニコンユーザーとしては、それこそ、Z9が出る迄は本当にニコンの行く末を心配していました。
また、シャープのZaurusというPDAだったかな? 結構仕事で愛用したし、デジカメカードで写真も撮って報告書に添付していました。あれも、時代が早すぎたようで通信インフラが揃っていれば今のアイフォーンと双璧を成していたのかも?
ただ、今つくづく思うのは、どんなに優れた技術があったとしても、経営判断が的確でないと伸びないし廃れると言う事は、つくづく分かった気がします。
tamtam
今から25年ほど前 市場では27~35万画素相当のデジタルカメラが出だしたころ
そしてNIKONがD1なるデジタル一眼を開発しているという情報が漏れ伝わった頃の話ですが
フジフイルムのマーケティングの方々とコラボ商品を開発したことがありました。
私は当時伝統産業従事者でフジフイルムとは全く縁もゆかりもがありませんでした。
それでもコラボ商品に際しリスクを張って投資され一定の評価を得ることができました。
そしてその発表の場で私はNIKON F4で記録撮影していたところ、
フジフイルムのご担当者曰く ごく近い将来フィルムカメラは淘汰されてしまいます。
今こうしてコラボ商品化に全力を上げているのは
フィルム事業に代わる柱を求めているからとおっしゃっていたことを思い起こしました。
当時の私にしてみればNIKON Fフォトミックからのフィルムユーザーであり
フィルムカメラを席巻するほどのデジタル化が早々進むはずないと思い否定的な意見を述べていた記憶があります。
しかし時が少し経ち 身勝手なものでNIKON D1 D100 D2と軸足をデジタルに早々にシフトした自分がいます。
私の場合 コダックは8㎜フィルムムービーを小学生時代から使い
30代前半までスチル写真を愛していたものの
気が付けばNIKON D1で一気にフィルムとは離れてしまってました。
当時フィルムはコダックとフジフイルムが主たるプレーヤーでしたが
フジフイルムの危機感はかなり早いときに感じ取り
いち早く業態を移していたと思います。
成功事例や業界トップの位置というのはいとも簡単に崩壊するものなのですね。
たもき
未来から見ると自明なのでしょうが、そのときその場にいると難しい話題ですね。デジカメとスマホはどこまで棲み別けできるかが現代の話題でしょうか。
他にもガソリン車と電気、水素車は?それとも自動運転?エアモビリティ?pcとスマホは?ssdとhddは?液晶と有機ELは?など色々な分野、次元でこのような話はあるように思います。結果が出るのも10年よりももっと長いスパンというのもいやらしいところですね。
日本がんばれ!
よたすけ
ヨドバシアキバオープンの2005年9月、カメラ写真用品のフロアがある3階で一番気合いを入れていたのが富士フィルムでした。
しかしフィルムやカメラで無く化粧品のアスタリフトだったのが、富士フィルムが他分野に軸足を移していた象徴的な出来事でした。
ちなみに美白化粧品によく使われているヒドロキノンは昔はハイドロキノンとよばれていて現像液の主原料の一つですね。
J6erry
There were 3 primary reasons that Kodak bankrupted:
1 -- They hired from without the company, giving them directors who knew NOTHING about Kodak's customers or photography in any way. They were clueless.
2 -- They hired "Yesmen", who would only tell their superiors what they wanted to hear.
Problems were never resolved.
3 -- They listened to Wall Street and ruptured the company financially in the name of short term profitability.
Insiders were warning their contacts for over 2 decades, no one would listen. No one paid attention to what had happened to Polaroid.
yayaya
最初に買ったデジカメが2000年発売のコダックDC3800でした。
コンパクトなボディに230万画素で5万円くらい。当時としては画期的だったと思います。
すぐ他社に追い越され淘汰されてしまったのは残念でした。
かめらまん
後から振り返ってみるとさもありなん、みたいな結論で好きではないですね。
デジタルカメラの黎明期に他社に先駆けていろいろなデジタルカメラを出していたのは事実ですし、フィルム部門に気を使っていてデジタルに投資を怠っていたから滅びたみたいなのは教科書的すぎますね。
もりのしいたけ
フイルム映画の衰退もあるのでは?
撮影用も劇場プリント用フィルムもとてつもない量のフィルムを消費してましたからw
初期のデジタルシネマ用のサーバーもやっていたんですがもう使ってる映画館も無いです
Z9ユーザー
コダックはDC50 ZOOMとDC200を使っていました。
現像代を気にしなくていい! と喜んでいた頃です。
どこにでも持ち歩いていました。良いカメラでした。
今はDSC-RX1を持ち歩く毎日です。これももう十年近くになりますか。
これが壊れたら、次の「持ち歩くカメラ」はスマホになっちゃうかな・・・
ほるん
仲間が使っていたDC210ズームの空の青さの描写は羨ましかったな。
KodakブランドのCF、カードリーダーは まだ手元に残してある。
EasyShareV705の23mmデュアルレンズも買う時期を逃したデジカメだったなぁ…